SAYONARA USA
おそらく最後の BBQ (Barbecue)
10/8/2000
はじめに
北米で暮らす醍醐味として BBQ (Barbecue) を挙げる日本人は多くないだろう。しかし、屋外で肉を焼いて食うという野趣のある食事は、慣れてしまえば簡単で美味しい食事となるはずだ。また、北米では
BBQ 用の食材や副資材が豊富に用意されている。実際天気の良い夏場などは、通常の晩飯としても BBQ は一般的である。
さて、雨の季節が始まる今月を前にして、以下のように BBQ の楽しさを紹介したい。以下の駄文が「簡単に・単純に」という、北米の食文化を理解する一助となれば幸いである。
材料の下準備
我が家では 1998年の夏に BBQ 用の装備を整えたが、色々と不慣れなこともあって本格的に夏場の BBQ を週末の夕食にしたのは 1999 年からである。当初は色々と準備に手間をかけていたが、それもいいかげん面倒くさくなり以下に書くような簡単なメニューに落ち着いた。
食卓の準備
庭にあるコンクリートデッキにピクニック用のパラソルと、ポータブルテーブルを置いてある。テーブルはホースで水をかけ埃を落とし、テーブルクロスをかける。テーブルクロスは汚れるので、ピクニック用の紙製のものを常用している。テーブルクロスの縁はマスキングテープで固定する。マスキングテープは糊残りが無くて、この用途にはもってこいである。他に、片付けを簡単にしたければ紙皿と割り箸を使うといいだろう。コップだけは個人的な好みで、使い捨てではなくガラス製を使っている。
また、庭は風むきによっては松の花粉などで結構ほこりっぽくなることがあるので、テーブルを洗うついでに水まきをしてしまえばいい。ただし、間違っても蟻の巣に水をかけてはいけない。腐海の大海嘯よろしく、蟻が山となってあふれ出してくる。これではいい気分も台無しである。
火の準備と料理の実際
屋外で直火を扱うというのは、日本 (私は東京出身) ではなかなか体験できないことである。北米では車のメンテナンスと
BBQ の火起しは父親が子供に教えるべき最重要項目らしい。こちらでは火起しの技術は呼吸をするぐらい必要不可欠なことである。
ちなみに自宅のある Sunnyvale市では、屋外での裸火は手持ち花火も含め条例で固く禁止されている。これは乾燥した気候による山火事を気にしてのことであるが、BBQ
コンロの中の火は例外になっている。何ともいい加減というか、フレキシブルだと感じるのは自分だけだろうか。
何はともあれ、まずは BBQ 用コンロに炭を入れる。この炭は日本で言えば豆炭のようなもので、普通に近所のスーパーで売っている。普通の炭の他に生木のチップが入っているものもあり、これは薫製のような香ばしい香りがするのが売りのようだ。
これに火を点ける。当初はこの過程が結構難関であった。最初 BBQ を始めた頃は、点火用のオイルを使っていた。これがなかなかオイルのさじ加減が難しく、何度も着火をやり直すということが、しばしば発生した。
現在はオイルに代わって、炭を点火するための巨大マッチを使っている。これは点火した後、炭の中央に置くだけでよく全くの手間知らずである。色々と好みがあるのだろうが、個人的にはこの方法をお薦めする。
大体 15分ぐらいで火が安定し、炭が真っ赤になる。これで火の準備は完了である。
次におもむろに、肉を投入する。
片面がキツネ色になったら裏返し。
そろそろ焼けてきたら真ん中から半分に切って、焼け加減を確かめる。よく焼けているのがお好みであれば、断面もよく焼くといいだろう。
最後にまな板の上で切り分ける。半分づつ時間差でコンロから肉をおろすと、レアからウェルダンまでの焼き加減を味わうことができる。これもレストランでは経験できない楽しみである。
さて、これで終わりである。後は引き続き肉を焼きながらワインを飲み、子供は勝手にそばで遊ばせておけばいい。夏場はビニールのプールでも水を張って用意しておけば、ガキんちょ供はご機嫌である。
後片付け
これは BBQ では、あまり大変ではない。庭にガキんちょが撒き散らかしら食べ残しは、一晩もたたないうちに鳥がきれいに片付けてくれる。テーブルクロスは紙製の場合は丸めてゴミ箱に捨てるだけでいい。食器も紙コップや紙皿を使っていれば、さらに簡単である。そう言えば去年、エルニーニョの影響で夏場の雨が多かったが、新聞に「BBQ
ができないので、家事が大変」という投書が掲載されていた。何となくこの気持ちは理解できるような気がする。
大海嘯 (余談)
どうやらコンクリートデッキの下には、腐海よろしく蟻などの住まう地下帝国があるらしい。下手に攻撃すると、大海嘯となって溢れ出してくる。直接攻撃は問題無いが、数を武器とした精神攻撃はなかなかのもので、下手にじっくり見てしまうと体が一日中むず痒くなってしまう。触らぬ神に祟り無しということか。